豊川稲荷 語り継がれる伝説

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いろいろ特別な豊川稲荷

「稲荷」と聞くと、稲荷神社を連想するかもしれませんが、豊川稲荷は曹洞宗のお寺です。
宋の時代の中国に二度も渡って二度とも無事帰国できた超人、寒巌義尹(かんがんぎい)禅師のお弟子さん東海義易(とうかいぎえき)禅師が嘉吉元年(1441年)に開かれました。

正式名称:妙嚴寺(ミョウゴンジ(myougonji))
山号:圓福山
御本尊:千手観世音菩薩、豊川吒枳尼真天
所在地:愛知県豊川市豊川町

ここで言う荼枳尼天とは、寒巌義尹禅師が宋から二度目の帰国をした際に現れた霊神です。手に宝珠を持ち稲の束を背負い、白狐のようなものに跨った美しい姿で真言を唱えながら現れたと言われています。
この「白狐のようなものに跨った」というところがこの神様の肝です。これが豊川「稲荷」と呼ばれる由来だとも言われているようです。

弘法大師の逸話

曹洞宗ときくと座禅のイメージ、真言は真言宗のものだと勝手に思っていました。

ちなみに、豊川稲荷のすぐ近く豊川西町の徳城寺の境内には、真言宗の開祖である弘法大師にまつわる井戸があります。
その昔旅の途中で喉の渇きを潤すために空海がこの地に立ち寄ります。寺の僧がなかなか持ってこないのでわけを聞いてみると、近くに井戸がないために崖の下まで汲みに行っていたことがわかりました。そこで空海は錫杖を持ち、「ここを掘ると水が湧き出る」と言いました。その後この井戸の水はいくらくんでもなくならず、人々はこの井戸を「錫杖井戸」と呼ぶようになったそうです。

平八郎稲荷

豊川吒枳尼真天のお話とは別に、豊川稲荷と稲荷のストーリーがもうひとつあります。それが平八郎稲荷。

東海義易禅師が妙嚴寺開創の時、手伝いがしたいと一人の老翁があらわれます。それが平八郎。
この老翁が持っていた釜は不思議と何百人分もの飲食を賄えたそうです。そこで、一体どういうからくりがあるのか尋ねたところ、
「私には三百一の眷属がありますので、どんな事でも出来ないということはありません。」
と答えたそうです。しびれますね。釜がすごいのか、翁がすごいのか、はたまたご眷属がすごいのか。
その後開山禅師が遷化(亡くなられる)されてからは姿を消してしまったそうです。

開山禅師とは、曹洞宗では開祖である道元のことをこう呼ぶとのことです。
平八郎「稲荷」と呼ばれてますが、翁と稲荷はどこで結びついたんでしょうか。三百一の眷属の数も気になります。
この釜は今でも豊川稲荷の本殿で大切に保管されているそうです。

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【撮影地情報】

正式名称:妙嚴寺(ミョウゴンジ(myougonji))
山号:圓福山
御本尊:千手観世音菩薩、豊川吒枳尼真天
所在地:愛知県豊川市豊川町

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