人間の生き血を絞る纐纈城

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溢れるオカルト愛とともに、名古屋や東海のマジカルなどを、たまーに記事にしていきたいと思います。

今回は名古屋、東海には関係ありませんが、たまたま読んだ宇治拾遺物語の一話「纐纈城奇談」がとても面白かったのでご紹介させていただきます。
仏教を学ぶために中国に渡った僧侶が、迫害を受けて山中に逃げ込み、纐纈城に立ち入ることになる話。そこは迷い込んだ人々の生き血を使い、染布を作っているという恐ろしい場所でした。

これが結構ひどい話なんですよww一気に宇治拾遺物語ファンになりました。
宇治拾遺物語には有名な「瘤取りじいさん」や「わらしべ長者」なども収められているんですが、おかたい宗教説話集とは違って、笑い話や下ネタが輝きを放っています。

5分でわかる!「纐纈城奇譚」あらすじ

仏法を学ぶため中国に渡る偉いお坊さん、慈覚大師。しかし、皇帝の武宗は仏教を滅ぼそうと弾圧を強め、ついに慈覚も追放されてしまう。
山を越え、都から遠く離れて彷徨ううちに、高い塀で囲まれた立派な家にたどりつく。家人に事情を話すと、しばらく住んでもいいと言ってくれた。

一安心したが、果たして仏教の修行に適した場所だろうかと、家の周りを歩き回っていると、どこからか呻き声が聞こえてきた。中を覗き込むと、天井から逆さに吊り下げられた人間が血を抜かれている。「なぜこんなことに」と声をかけるが答える者はいなかった。近くでぐったりと横たわっていた男を招き寄せて、わけを尋ねると、男は木の破片で地面にこう書いた。

ここは纐纈城だ。迷い込んだ人間は、口のきけなくなる薬を飲まされ、それから肥える薬を飲まされて、最後はこうして吊るされて生き血を搾り取られてしまうのだ。ここの家人はそうして絞った血で纐纈染をした布を売って暮らしている。
御僧、気をつけろ。食事に混ぜ込まれた胡麻のような黒っぽいものは口をきけなくする薬だ。食べたふりをして逃げろ。誰かに話しかけられても、決して答えず呻くだけにしなさい。あとは支度をして逃げるしかない。ただし門から出ることは難しいだろう…!」

食事が出された時、男に言われた通りの事が起こった。慈覚は薬を食べた振りをして逃げ出し、比叡山延暦寺の方向に一心に祈った。すると大きな犬が一匹現れて、大師の袖をひき、水門へと導き救い出した。
必死で逃げて人里に行き着き、出会った人にいきさつを話すと、
「それは驚いた。並々でなく仏の助けがなければ逃げ出せない。あなたは尊いお方に違いない」
と拝んで去っていった。
その後仏教の迫害も収まり、慈覚大師はおもいのままに学んで、日本に戻り、真言を広めましたとさ。

仏教礼賛と思わせて

どうですか、一見すると「仏教パワー炸裂!日本の僧侶マーベラス!」な話ですね。
しかし、この話の面白みは慈覚大師の【仏法を学びたいあまり人間性を失っているところ】にあると思います。
慈覚大師のロストマインドなポイントをまとめると、
  • ご厚意で留まることができた家を「仏教にふさわしい」か値踏みする
  • 吊るされている人びとを見て、好奇心のままに質問する
  • 吊るされている人びとが質問に答えないので、瀕死の男を呼びつける
  • 仏法を学ぶために自分は逃げるが、吊るされた人たちは置いてく
  • 逃げた先でたどりついた村で「逃げてこられるなんて、あなたは尊い方だ」と皮肉を言われるが気づかない
どうです、ひどいでしょう。

慈覚大師は実在の人なのか?

纐纈城はおいといて、慈覚大師は実在します。かなーりすごい人です。

第3代天台座主(てんだいざす) 円仁

慈覚大師は「円仁」とも呼ばれていました。第三代の天台座主(てんだいざす)は、日本の天台宗の総本山である比叡山延暦寺の貫主(住職)で、ある天台座主の三代目です!天台宗の諸末寺を総監する役職で、「山の座主」とも呼ばれました。

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幼い頃から仏道に入り、延暦寺に移ってからは最澄の代講(かわりに講義する)をつとめるほどの人物でした。
最澄が死去した後、遣唐使として唐に渡ろうと試みるが2度失敗し、3度目で船が沈みながらもなんとか大陸にたどりつきます。その時すでに45歳。
もともと短期の滞在しか許されていなかったのですが、円仁はあきらめきれず、帰国の途につく遣唐使一団から離れて不法滞在する決意をします。通行証を手配してもらうなど、多くの新羅系の人々に助けられながら、五台山へとたどりつきます。

そこから長安へとやってきた円仁は日本への帰国願いを何度も出しますが叶わず、やがて、仏教排斥の動きが激しくなり、外国人僧の国外追放が決まったことで、やっと許されました。
その際、唐の役人をしていた新羅系の役人が円仁のために公金で船を調達したため、一時出国がとりやめとなり、心配して日本から迎えに来た円仁の弟子が新羅系の貿易商人の船へ同乗するよう手配してくれたので、やっと日本に帰ることができました。

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さらに円仁は唐に入ってからの日々を詳細な日記として残していました。マメな人だったんですね。
誰と知り合って、どのように通行証を手に入れたのか。通過した村々が害虫被害でどれだけ苦しんでいたかなど、正史には描かにくい地方の実情を知る大変貴重な資料となっています。
また、
「あそこの主人は信心深くて食事もうまい」
「あの寺はろくな食事も出ない!寝床も整えてくれなかった」
など、円仁によるお宿口コミ情報も面白さのひとつ。

日本に帰る直前には廃仏毀釈の勢いも激しくなり、円仁は頭を剃らず、袈裟も脱ぎ、一般人のように振る舞わざるを得なかったようです。
そんな中、当時の貴重な仏教の経典を数多く日本に持ち帰った円仁とお弟子さんたちの苦労は計り知れません。
ちなみに旅は円仁一人ではありません。2人のお弟子さんと使用人1人が遣唐使の一団から離脱したときからずっと一緒でした。お弟子さんの一人は道半ばで亡くなってしまい、最後まで4人でとはいかなかったのは切ないです。
この四人、ドラマの水戸黄門様みたいですね。すでに高僧だった円仁が水戸黄門で、二人のお弟子さんが助さんと格さん、使用人がうっかり八兵衛。円仁のドラマティックな道中が映像化されたら面白そう!!

ちなみに、入唐求法巡礼記は「国会図書館 入唐求法巡礼記 デジタル」で検索すると、電子化されたものがパソコンで見られますよ〜!

円仁巡礼の旅の謎

纐纈城奇談では散々(?)だった大覚大師(円仁)ですが、本当にすっごい天台宗の御坊さんだったんですね。 しかし、円仁には多くの謎も残されています。
なぜ新羅の人々は積極的に円仁を助けたのか。
仏教が弾圧され、危険を感じずにはいられないような当時の中国で、なぜ多くの仏典を持ち帰ることができたのか。

ひょっとしたら、円仁は他国を旅して情報を収集する現代のスパイだったのかもしれません。だとしたら、新羅の人々が協力を申し出たのにも裏がありそうです。
そうなると…「纐纈奇談」にも隠された意味があったりして。

円仁(大覚大師)に関するおすすめ資料

円仁の辿った旅路を実際に歩いて風景や人々の様子を記録した、まさに「入唐求法巡礼記リターンズ」。もちろんすべて徒歩というわけではありませんが、この本のいいところは写真
ほぼA5サイズでほぼ全ページカラー。貴重な遺跡も多数掲載されていて、本当に円仁と旅をしている気分を味わえます。私の感想は「こんな砂っぽいところはいやだな」でした。


円仁慈覚大師の足跡を訪ねて 今よみがえる唐代中国の旅 ハードカバー – 2007/10/25
阿南 ヴァージニア 史代(文・写真) (著), 小池晴子 (翻訳)